【鹿児島・薩摩川内】脱原発イベントのご案内

★ 川内原発再稼働抗議行動

  毎週金曜日 午後6時~7時
  JR川内駅前(九州電力川内営業所前でしていましたが、駅前に移動しました)
  





2011年1月31日月曜日

山口県庁にFAXを送りました

山口県庁前で、
上関原発予定地の埋め立て工事の中止と、
埋め立て工事の再検討を求めて
ハンガーストライキをしている人たちがいます。

全国から集まった10代を中心とした ハンガーストライキ















彼らを応援しようと、
29、30日の土日に一斉に山口県庁にFAXを送ろうという
「マンデーどっきり大作戦!」という計画が、
私のもとへもいくつかのメーリングリストツイッターを通じて届きました。

私もメールを転送したり、
自分が書くFAXの文章を考えながら、
土、日を過ごしました。

そして、夏休みの宿題をギリギリにがんばる小学生のように、
日曜日の夜に「山口県知事様」という書き出しで文章を書き始めました。

文章は不思議です。

書き始めるといつも、
それまで頭の中で考えていたことと違うことばが出てきます。

私が書いたのはこんな文章でした。














「山口県知事様 長州ファイブのみな様


山口県の人たちはすばらしいと思います。

私が住んでいる鹿児島県薩摩川内市には
原子力発電所が2基あります。

今、またもう1基増設しようとしています。

私のまわりの人たちはみんな反対をしています。

でも表面的にはみんな賛成しているように見えます。

本当のことが言えないまちになっています。

あきらめている人もたくさんいます。


今、山口県の選択にみんなが期待しています。

上関原子力発電所の工事を止めて、
山口県の人たちの命と自然を守ることが、
知事の仕事として何よりも優先されると思います。

山口県の人たちを守ることが、
日本中の人や世界中の人を守ることになります。

ありがとうございます。

私たちもあきらめません。」

県知事にありがとうなんて、
頭で考えていたときには一度も出てこなかったことばでした。


子どもたちが寝静まった10時頃にFAX送信。

でもなかなか送ることができません。

再、再、再、再、・・・・・・・、チャレンジして、
翌日1時頃、無事送信できました。

きっとたくさんの人が私と同じことをしていたのでしょう。


今朝、ハンストをする彼らのインタビュー記事というのを見つけました。
それを読んで私が思ったのは、
「我が子と同じ小学校に子どもを通わせているお母さんたちにこのことを伝えたい」
ということでした。

「勉強についていけていない」
「集中力がない」
「本を読まない」

そして
「このままではどうなるんだろう」
と悩むお母さんたち。

「道は一本だけじゃないよ」
「子どもたちはすばらしい力を持っているよ」
ということを、
私は彼らから気付かせてもらったような気がしました。

不思議です。

原発のこととは直接関係ないことを考えました。

もちろん、もうこのまま原発推進で行くしかない
とあきらめそうになっている私たちにも、
「目の前にまだいろいろな可能性が広がっていて、
私たちはそれを選択することができるんだよ」
「選択したり、解決したりすることは楽しいことなんだよ」
というメッセージが聞こえてきたような気がします。

ありがとうございました。

2011年1月29日土曜日

上関と川内

「祝島に行ってきました(1)~(4)」にも書いた通り、
1月6日に祝島に行ってきました。

その直後に「祝島がエネルギー自給率100%を目指す」というニュースを聞きました。

山戸さんちの太陽光パネル













そして、今は「上関原発の埋め立て工事の中止を求めてハンスト」が行われています。

ハンストを行う5人












まだひと月も経ってないのに、歴史は動いています。


川内は今日は温排水調査の日。
今日も川内原発の温廃水の温度や周辺の海水の温度を測っている人がいます。

ウミガメ調査員の方は、
毎日海岸清掃をされています。

原発のことをちゃんと考えてくれる人を議会に送ろうと
県議会議員選挙活動を頑張っている人もいます。


私は・・・、
今日は娘が通う保育園の餅つき大会でした。
石臼と杵でペッタンペッタンつきます。

私は炭火で餅を焼く係。
火を熾したり、餅を焼いたり、
・・・我が子が餅をつく姿を今年も見逃してしまいました。

我が家の七輪火鉢の炭












餅つき機や電子レンジだと簡単にできるけど、
重たい石臼を準備したり、炭に火をつけるのは大変。

でもとってもおいしいお餅でした。
「すみでやいたおもちはおいしかった~」
シンプルなメッセージが子どもたちの心と体に届いたでしょうか?


座り込みをしている若い人は大変でしょうが、
うらやましくもあり、まぶしくもあります。

行事や仕事、子どもの世話で思うように動けないわが身がもどかしくもあります。


ですので、
せめて行動してくれる人を応援しようと思います。

これから山口県庁に送るFAXを書こうと思います。

ガラス溶解炉の蓋を火鉢に載せておくと
次の日まで火が熾きています

2011年1月25日火曜日

2月2日(水)は原子力防災訓練です

「原子力広報薩摩川内」がきました。

2月2日(水)に
「原子力防災訓練」があるそうです。






















川内原子力発電所から10km県内の自治会は、
訓練に参加しなくてはいけないようです。

私が住んでいるところはギリギリ免れているようです。
道を挟んだ隣の自治会は一覧に名前が載っています。

道の向こうで放射能が止まってくれるといいのですが・・・。

毎年、原子力防災訓練の日は、
行政防災無線のスピーカーから、
原発事故が起きたことを知らせる放送が何度も聞こえてきます。

防災無線って台風の日は聞こえないんだけど・・・












子どもが小さかった頃は、
手をつないでお散歩をしながらこの放送を聞いたこともありました。

「この事故が本当だったらどうすればいい?」

もちろん放送では屋内退避を呼びかけています。

子どもがすぐそばにいれば、
一緒に避難もできるでしょう。

でも、現実は違います。

おとなたちは職場に。
子どもたちもそれぞれ保育園や学校に行っています。

迎えに行くべきでしょうか?
みんなが迎えに行くと大混乱になるので行かない方がいいのでしょうか?

「防災安全課」からのおたよりには、
・各自が勝手に行動しない。
・デマ(流言飛語)に惑わされない。
・緊急でない限り、電話の使用は控える。
などと書いてあります。

してもよさそうなことは、
・テレビやラジオのスイッチをいれる
・防災行政無線、広報車のお知らせを聞く
・お隣さんとの情報交換
くらいです。


2004年に訓練に参加した方が
「事故時の情報統制を許すな」として、
こんなことを書いていらっしゃいました。

そればかりか、薩摩川内市の防災無線はそれまでの間
「避難や屋内退避などの特別な行動をとる必要はありません。」
と広報し続けていたのだ。
これは犯罪的である。
少なくとも「念のため屋内に退避し、今後の情報に注意してください。」
と広報すべきだ。~
環境と原子力の話より鹿児島県主催の原子力防災訓練


これは古い情報なので、
今は放送の内容も改善されているかもしれません。

原子力防災訓練監視行動をしている方々もいらっしゃるようです。












さて、今年はどのような訓練が行われるのでしょうか?


・・・その後、鳥インフルエンザの発生でこの防災訓練は中止になってしまいました。

2011年1月21日金曜日

「ミツバチの羽音と地球の回転」in鹿児島県立短期大学

昨年の10月6日「ミツバチの羽音と地球の回転」in鹿児島
12月11日の「ミツバチの羽音と地球の回転」in川内を見逃した方に朗報です。

2011年2月4日(金)、鹿児島県立短期大学にて
「ミツバチの羽音と地球の回転」の上映会が行われるというニュースが入ってきました。


とき   2月4日(金) ①14:30~ ②18:00~
ところ  鹿児島県立短期大学・視聴覚室(図書館2階)
主催  「商経学会」「ミツバチの羽音と地球の回転上映実行委員会」 

鹿児島県立短期大学/本学へのアクセスより























この上映会は学生さんを対象に開かれるのですが、
鹿児島市、川内上映会を見逃した方もどうぞ!
と主催の方からの嬉しいメッセージが届いています。

(ここだけの話ですが、学生さん対象なので無料らしいです)

この上映会を企画された方は、
川内上映会を見にいらっしゃった方だそうです。

実は川内上映実行委員会が誕生したのは鹿児島上映会の会場でした。
「川内でもやりたいよね~」
それが始まりでした。

【鹿児島市→川内→鹿児島県立短期大学】とつながりました。

今度は若い学生さんがたくさん見ることになるのでしょうか。

川内の上映会でも「若い人にたくさん来てもらいたい」と言っていましたが、
10代、20代の来場者はあまり多くはありませんでした。

でも、川内の上映会がきっかけになって、
若い人にも広がることになりました。

次はどんなふうにつながるのか!?
楽しみです。

【鹿児島市→川内→鹿児島県立短期大学→?】
(上映会したいと言っている人は何人かいるんですけど…)


ついでに、
川内上映会が終わった後で
「今の祝島はどうなっているの?」
と質問される方が何人かいらっしゃいました。

現在の祝島の様子です→祝島島民の会blog



県立短大上映会についてのお問合せがあるかたはコメントでお願いします。

2011年1月20日木曜日

再循環の影響を考慮した計算プログラム

1月18日(火)の「川内原発温廃水訴訟第一回口頭弁論」
ニュース映像がYouTubeにアップされていました。



この裁判は、川内原発から出てくる「温廃水」の影響について争っています。

「温廃水」についてはいろいろな影響があるといわれていますが、
今回新しい言葉が出てきました。

九州電力(株)の答弁書より


「再循環の影響を考慮した計算プログラム」というものです。

裁判も原発もことばが難しくて大変!


まず「温廃水の再循環」という問題があります。
温廃水が再び取水口から取り込まれるというものです。
温まった海水が再び原発内で温められてしまうのです。

決まりどおり入口と出口の温度差が7度でも、
ちょっと離れたところの海水の温度と比べると、
7度以上温まっているということがあるということです。

今まで
「再取水していない」
と言っていた電力会社や保安院の方が、
最近になって
「再循環の影響を考慮した計算プログラムを使用して温排水拡散予測をしている」
と電話口でおっしゃるようになったそうです。
確かに答弁書にもその通り書いてあります。

原告団集会











「どんなプログラム?」
と思いますが、次回の裁判は3月7日。
そのまた次は5月23日。
真実はまだまだ闇の中…。

九州電力の弁護士さんたちは7人。
日程を合わせるのもひと苦労です。

このまま3号機の建設が始まってしまうのでは!?
というペースです。


あなたがお住まいの地方の近くにある原発はいかがですか?
温廃水を再循環していませんか?

























また、
「再循環の影響を考慮した計算プログラムを使っている」
という話は聞いたことはありませんか?


この日の意見陳述は、
豊かできれいだったころの吹上浜の思い出が語られていました。

鹿児島の海は今でもきれいだけど、
もっともっときれいだったんでしょうね。



このCMは西方海岸で撮影されたらしいです。

2011年1月17日月曜日

明日は川内原発「温排水訴訟」です

明日(2011年1月18日)は温廃水訴訟があります。

グーグルマップより



白く泡立って出ているのが温廃水です。
川内原発1,2号機の温廃水は、
すぐそばにある川内川の流量と同じくらいと言われています。

明日は「第一回口頭弁論」ということで、
薩摩川内市の南いちき串木野市にお住まいの方が、
海の状況などについてお話されるそうです。

1月18日(火)、13:10から鹿児島地方裁判所で行われます。
「温廃水訴訟」が行われる206号法廷は、
一番大きい法廷で、90人入れます。


「温廃水って何?」
と思っている方も、
「温廃水出したっていいじゃない」
と思っている方も明日は法廷にいらっしゃいませんか?

みんなで温廃水について考えましょう!


九州電力ホームページ・川内原子力発電所の温廃水について

『川内原発温廃水訴訟原告団ニュース・創刊号』

『川内原発温排水訴訟原告団ニュース・第2号』

原発「温排水」とは~川内原子力発電所の現実(4)~ ネットアイビーニュース

『フライデー』(2010.6.4発売)

2011年1月16日日曜日

祝島に行ってきました(4)

船大工小屋で少し焚き火にあたってから、
約束より少し早めの16:00時頃に「わた家」に行きました。

おやつのスコーンを注文してお土産を見ていると、
ひとりの女性が入ってきました。
私が祝島で初めて出会う観光客でした。

話しかけると、
「3日から滞在していて7日の船で帰るんです」
「この記事を見て来たくなりました」
とおっしゃって『生活と自治』という雑誌を見せてくださいました。

生活クラブ生協連合発行『生活と自治』1月号























彼女は私より一日早く棚田に行ったとのことでした。
「途中、島の人に遠いよ~と言われたり、
みかんをもらったりしませんでした?」
「人はいなかったけど・・・」

私が今回行けなかった島の北側にも行ったとのこと。
「あれが氏本農園だったのかなぁ?」
「豚いました?」
「いなかったんです・・・」

人にも豚にも出会うのは大変なのかな??
と思っていると、
「さっき祝島島民の会の事務所に行ってこれをもらってきました」
と署名用紙を見せてくださいました。

そして、スコーンを食べ終わったお皿に、
「漁協で買ってきたんです」
と、いりこを載せてくださいました。
私はみかんをお返しにあげました。

ねこ型スコーン
















「わた家」さんが祝島クッキーも差し入れしてくださって、
とっても豪華なおやつになりました。

祝島型クッキー
















予定通り16:30頃、
山戸孝さんがカンパの領収書を持って来てくださいました。
まだ会議の途中なのか急いでいらっしゃって、
すぐに事務所に帰っていかれました。
「川内にも来て下さいね~」
と言ってお別れをしました。

私も17:00の船に乗らなくてはなりません。
お土産の絵はがきとクッキーを買って、
いただいたいりこもお土産の袋に入れて
「わた家」を出ました。

祝島のお土産
















船の乗客はやっぱり少なく、
観光客は私だけみたいでした。

船の中から田の浦やブイが見えました。

工場の煙突やまちの灯りも意外と近くに見えました。

いりこをかじっていたらすぐになくなって、
買ってくればよかったと後悔しました。
そういえば映画に出ていたたこの干したのに出会いませんでした。
どこにいたのでしょう?

干しダコ(祝島市場ホームページより)

















船が四代の港に着く頃にはあたりは少し薄暗くなっていて、
今回は田の浦に行くのはあきらめました。

また出直すことにしました。
「自然菓子工房大舌」にも行きたかったし。 


とりあえず「川内ミツバチ実行委員会」として
予定していたことはすべて終えました。

そしてブログに祝島のことを書きながら、
甑島(こしきじま)のことを思い出しました。
薩摩川内市にも離島があります。

甑島の玉石垣(薩摩川内市ホームページより)















甑島にも行ってみようと思いました。 











(一応・完)

2011年1月13日木曜日

祝島に行ってきました(3)

棚田を後にして歩きました。

最後に出会ったおばあさんの小屋まで歩くのも
けっこうな距離でした。

「船に間に合うかな」
と心配になった時、
曲がり角の向こうで耕運機のエンジンがかかる音がしました。
「走れば乗せてもらえるかも」
と思ったけど、走るのはやめました。
荷台はおばあさんとみかんでいっぱいです。
耕運機はどんどん遠ざかっていきます。

「ちょっと乗ってみたかった」
「でも怖そう」
そう思いながら、耕運機の写真を撮りました。


行ってしまった耕運機
















遠ざかっていく耕運機を見送りながら、
残念なような、でもいいものを見つけたような気持ちになりました。

どんどん遠ざかっていく耕運機
















せっかく歩くのだからと
石垣や小屋の写真を撮りながら歩きました。

窓付
















いろいろな材料で工夫して小屋を作っています。
ひとつとして同じ小屋はありません。

練り塀風

















この風景を作りだしたのは島の人たち。

「私は技術も体力も受け継いでないなぁ」
と反省しながら歩きました。

山と一体化しているタイプ






反省したり、感心したりしながら歩いて、
帰りは意外と早く着きました。


16:30に「わた家」で山戸さんと待ち合わせをしていました。
カンパの領収書をいただくためです。 (続く)

2011年1月12日水曜日

祝島に行ってきました(2)

山戸孝さんは会議があるとのことで
13:30にわた家を一緒に出ました。

祝島観光パンフレットをもらって、
「もし寒かったらここで火にあたらしてもらいんさい」
と船大工小屋を紹介してもらいました。

そして船大工さんらしい人に
「このこがここに来たら火にあたらしてあげて」
山戸さんがおっしゃいました。

このこと言われたのは何十年ぶりでしょうか。
いつも島のお年寄りばかり見ているので、
お年寄り以外はみんな若者に見えてしまったのでしょうか?

ウキウキしながら地図を眺め、
「平さんの棚田」に行ってみることにしました。

3kmと書いてあるので
行って帰ってこられない距離ではありません。

祝島小、中学校の上からの景色
















歩いてどんどん坂を上りました。
坂を登ると、今度は島の南側へずんずん歩いていきます。

これが田の浦?
















瀬戸内海は島がいっぱいです。

初めて東シナ海を見たときは
「どうして海に島がないの?」
と不思議に思ったのを思い出します。

一本道が延々と続いています。

こんな道が続きます
















歩くだけでも大変なのに、
作った人はどうやってこの道を作ったのでしょうか?

途中、何台か乗り物を見つけました。

耕運機に荷台をつけたような乗り物
















乗り物付近で仕事をする人に
「棚田に行きよるんです」
と言うと
「歩いて行くんね」
「まだまだ遠いいよ」
という答え。

しかし、子育て生活10年、
実家に子どもを預けて久しぶりのひとり旅の私には、
ちょっとくらい遠くてもなんてことありません。

「のどか乾いたら食べんさい」
と、みかんのお土産をもらって歩きます。

きれいな石垣が続いています。
どうやって草を取っているのでしょうか?

石垣マニアにはたまらない光景

















すごい石垣エネルギーと草取りエネルギーを感じながら歩きます。

どれだけ人の手間と時間がかかっているのでしょうか
















おばあさんがすごく重たいみかんのかごを背負って坂を上っていました。
ちょっと手伝ったらまたみかんをもらってしまいました。
やっぱり
「まだまだ遠いいよ」
と言われてしまいました。

本当にまだまだでした。
でも棚田があるところは、
なぜか棚田が見える前に分かりました。
何も書いてなかったのに不思議です。
もうすぐのような気がして走ったら、
目の前に棚田が現れました。


平さんの棚田
















本当に美しい棚田です。
この棚田か美しいのは
お米を作って命を支えてきたからなのでしょう。

しかし、時計も携帯電話も持っていない私は、
「ここでのんびりしていては船に乗り遅れてしまうかも!?」
と、ゆっくり座る間もなく棚田を後にしたのでした。 (続く)

2011年1月11日火曜日

祝島に行ってきました(1)

2011年1月6日(木)、山口県の祝島に行ってきました。

「川内ミツバチ実行委員会」は鹿児島県の薩摩川内市にありますが、
実行委員長(単なる言い出しっぺ)の実家は広島県。

広島の実家から祝島へ日帰りで行ってきました。

30分前から船を待つおばちゃんたち
















四代から10時25分の船に乗って祝島へ渡る計画。

そのへんのおじちゃんにどこから船が出るか聞いてみると
「今日は仕事をせんのんじゃけえどこでもええよ」と謎の答え。

ちゃんと船が来るのかなと不安に思っていると、
そのうち四代のおばちゃんたちが集まってきました。
船から荷物を受け取ったり、祝島の親戚に荷物を送ったりするためだそうです。

それにしても、お年寄りの方々と言葉が通じるって不思議な感じです。
おばちゃんどうしの会話も聞き取れます。

鹿児島では年配の方の会話は
「なにを言っているのかさっぱり分からない(汗)」ということはしょっちゅうなので。

おばちゃんたちと船を待って、予定通り四代を出港。

映画に出たし、冬休みだし、
観光客いっぱいだろうなと思ってたけど、
船の中に「祝島は初めて」といった感じの人は私だけでした。

祝島に着いたら、
船に乗っていた人たちはあっという間にいなくなって
一人ぼっちになってしまいました。

とりあえず写真を撮ってみる
















とにかく今回私が祝島に来たのは
「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会in川内で集まった「寄書き」と「カンパ」を
「祝島島民の会」の人に渡すためなのです。

でも誰もいません。
風がピューピュー吹いてとっても寒いです。

とりあえず練塀の路地を歩いていると「えべす商店」を発見しました。
(これは「祝の島」という映画を見て覚えた)

店内で昼食になるようなものを物色しているとおばちゃんに話しかけられました。
「どこから来たん?」

そこから話がとんとん拍子に進み、
集まってきたおばちゃんに、
「島民の会事務所」を教えてもらったり、
「孝君の家」に案内してもらったり(どちらも留守だったけど)して、
最終的に「わた家に行ってみんさい」ということになり、
おばちゃんに連れられて「わた家」に行ったのでした。

わた屋があってよかった











わた家でカレーを食べていたのは岡本さん。
映画の中で鯛の一本釣りをしていた方です。

試写も含めて10回くらい映画を見ていたので予習はばっちりでした

















事情を話すと岡本さんが山戸孝さんに電話してくださって、
山戸さんと「わた家」で会うことになりました。
(私が送っていたメールに前日に気づいたのだそう)

わた家さんの中庭で



















・・・というわけで、
なんとか「寄書き」と「カンパ」を無事届けることができました。


いろんな味が詰まってました



昼食は「わた家」のドライカレーでした。


食後に川内土産のかるかんとかからんだんごを食べながら、
いろいろお話しました。

でも、その間にも田の浦ではいろいろなことが起きていたようです。
会話の中に「裁判」「発破」という言葉が出てきていました。 (続く)