【鹿児島・薩摩川内】脱原発イベントのご案内

★ 川内原発再稼働抗議行動

  毎週金曜日 午後6時~7時
  JR川内駅前(九州電力川内営業所前でしていましたが、駅前に移動しました)
  





2011年5月24日火曜日

「つゆくさ会」からお知らせいろいろ

昨日は「つゆくさ会」がありました。

月に一度の定例会ですが、
このところ、毎回新しい人の参加があります。

昨日は、埼玉出身で水俣の農家に滞在中という女性がいらっしゃいました。
埼玉から避難をしてこられて、
5月18日の九電申し入れのときに
つゆくさ会のメンバーと出会ったということでした。

九電前はいろいろな人の出会いの場になっている様子。
とりあえず避難をしてきた人が、
情報を求めてここに立ち寄る姿もあるそうです。
「天文館アトムズ」のメンバーも
九電前で新しい出会いがあったようです。

「天文館アトムズ No Nukes Kagoshima」より















また、昨日のつゆくさ会には、
NHKのテレビ取材の方もいらっしゃいました。

先日の「げんぱついらないパレードinかごしま」
たくさんの地元マスコミに取り上げていただき、
3.11以前より何かが変わってきたと感じることもたびたびあります。

つゆくさメンバーの中でも
「署名が集めやすくなった」
「ほかの人から原発の話題が出るようになった」
「“私たちのためにありがとう”とお礼を言われた」
など、いろいろ変化があるようです。

しかし、「原発推進」の市の方針は相変わらず。
「仕事ななくなると心配している人もいる」
「福島のことは他人事のよう」
「九電の人は川内原発は福島原発と方が違うので大丈夫と言っている」
「税収が減る!?ことをしんぱいしているひともいるのでは?」
などなど、考えなくてはならないこともたくさんです。


この日のつゆくさ会の持ちより料理












そんな中での「つゆくさ会」からおしらせいろいろです。


① 「薩摩川内市長へ5万人署名」川内原発3号機の増設中止を求めて~

これは薩摩川内市民しか署名ができません。
今年(2011年)いっぱいやってます。
署名したい方、署名集めたい方、コメントください。


② 「脱原発講座」 崎山比早子氏講演会「福島原発事故と放射能汚染による健康障害」

6月25日(土)14時~ 薩摩川内市国際交流センターコンベンションホール

※チラシは現在作成中
※「脱原発講座」10月22日(土)は小出裕章氏講演会です。


③ 「田中優氏講演会」

6月18日(土)18時~ 出水市音楽ホール 500円 託児あり 











※17日(金)は鹿児島市



④ 今年の8月の九州全体の脱原発合宿は薩摩川内市で行われることになりました。


⑤ 水俣でも「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会が行われます。

6月25日(土)10:00~、14:00~、18:00~、水俣市公民館



以上お知らせでした。

2011年5月22日日曜日

げんぱついらないパレードinかごしま

昨日は「げんぱついらないパレードinかごしま」に参加してきました。
午後2:00~4:00あたりに天文館にいらっしゃった方大変お騒がせをいたしました。

また、沿道でこのようなチラシを受け取ってくださった方ありがとうございました。















厳密にいうとこのチラシをここに引用するのは間違っています。

今日私たちが配っていたチラシ・・・
・・・帰ってよく見てみたら日付が6月11日になっていました。

またやるらしいです(汗)。



私が天文館アトムズ主催のデモパレードに参加したのは今回で3回目でした。
(今回はげんぱついらないパレードinかごしま実行委員会主催ですが)
昨年の10月9日の「no nukes day 天文館車道パレード」
そして、一昨年(2009年)の10月にも天文館パレードがありました。

トラクターデモというのもありましたが、
こちらは有機農業団体の方々が中心になって行われました)


2009年のパレードのときの動画や写真は探したけど見つかりません。
あのときは熊本から来たラッパや太鼓の楽隊の人たちがいました。
今でも耳にこびりついて離れない、スゴイとしか表現できない音でした。

そのときは、お店が少し出ていました。

手作り鳥居のノーニュークス神社でおみくじを引いたら
「放射能を無毒化する方法を発見」と書いてありました。

主催者の方が終わりのあいさつのときに
「アースデイのときに出店した人に声をかけたけど、
”反原発ということだったら協力できない”という人もたくさんいた」
と話されました。

アースデイと同じ場所、同じ主催者なのに、ノーニュークスの方は出店者はわずか。
パレードも熊本からの応援がなければ、わずかな人数だったと思います。


その翌年、2010年のパレードは「ミツバチの羽音と地球の回転」
という映画の上映会といっしょに行われました。
その日に「川内ミツバチ実行委員会」も結成されたという記念すべき日です。
映画を見ながら「あ・うんcafe」のカレーの匂いが会場に充満していたのを思い出します。

そのパレードでは、映画の宣伝のチラシを配りながら歩きました。
「今年のデモはいいですよ」と警察の方から褒められたりもしました。
前の年が少々過激すぎた!?


そして、東電が福島で起こした事故を受けての今回のデモ。

主催者の発表がないので正確な人数は分かりませんが、
たくさんの人が参加して、たくさんの想いを表現していました。

布に想いを書いてもらいました













都会での何万人というデモには及びませんが、
ひとりひとりの熱い気持ちはみんな同じです。

しかし、原発立地県であるがゆえの心配や悩みもあります。

ずっとここで暮らしたい!















「原発や関連企業で働く人を傷つけるのではないだろうか・・・」

「利権が絡むので、表立って反対するのは怖い・・・」

「自分も原発の恩恵を受けているので声を上げづらい・・・」

たしかに、今までの国やマスコミをあげての
「原発はクリーン」
「原発は安全」
というキャンペーンの中ではそうでした。

でも、今はテレビや雑誌でも
「原発は高コスト」
「原発は危険」
ということが取り上げられるようになってきました。



テレビ番組の中で、福島で被災された方々が
「原発さえなかったら・・・」
と口にされるのを何度も耳にしました。

「安全」
「大丈夫」
と言われ、そのことばを信じていたけど、
被曝をしていたかもしれないことを
後から知らされた人々の想いは・・・。

風船はどこまで飛んだ!















鹿児島に住む私たちも
「原発がある限り不安と隣り合わせの毎日」
「原発で大事故が起きたら
今住んでいる家や土地に二度と帰れないかもしれない」
ということを考えなくてはいけません。

鹿児島市も川内原発からわずか40~50km。
ということで、
集まっているみなさんも
「いつ自分が住んでいる土地が放射能のホットスポットになるか分からない」
という危機感を持っていらっしゃいます。

グリーンコープの元気くんも参加















今回は「子どもたちを守りたい」
と立ちあがった子育て中のお母さんたちもたくさん参加していました。

赤ちゃんポスター持参
















お母さんも























お父さんも
子どもも
















いつまでもずっとここで暮らせますように。











実行委員会のみなさまもお疲れ様でした。















ありがとう。

2011年5月12日木曜日

東電と福島と小出先生

私が福島原発のことを知ったのは、昨年(2010年)の4月20日でした。

それまで私は福島に原発があることを知りませんでした。

↓こんな地図を見たことはあったけど、ぼんやりと眺めていただけでした。

日本の原発














その日は薩摩川内市の
「原子力発電所対策調査特別委員会公聴会」でした。

原発公聴会(「市議会だより」より)
















川内原発の3号機増設の賛否を審査するための公聴会ということで、
賛成、反対の立場から市民が3人ずつ、
学識経験者が1人ずつ意見を述べました。

そのときの反対の立場の学識経験者が
京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生でした。

市民も学識経験者も持ち時間はたったの10分。
「10分しかないので私はこのことだけに絞って説明します」
と小出先生が言われて見せて下さったのがこの図でした。

自分の給電範囲から原発を追いだした東京電力(東京電力の冊子より)


























「東京電力の原発は福島と新潟にある」
「人口密集地に原発を作らないのは原発が危険だからだ」
そういう説明でした。

さらにこういう説明が続きました。

原子力安全白書





















安全というのは神話であり、過剰な信頼であり、過信であり、
事故の風化であり、分かりやすさの追求であり、願望でしかない」

「電力会社も原発が安全とは思っていない」

「なぜなら原子力損害賠償法という法律によって、
もし大事故が起きたとしても電力会社は
限度額以上の賠償をしなくてもよいことになっている」

原発大事故時の賠償限度額




























「絶対に安全で事故が起きないというのなら
なぜ限度額を決めておく必要があるのだろうか」

原発は危ない
事故は起きるかもしれない
と一番よく分かっているのが電力会社なのだ」


このことは他でも聞いたことがありました。
「電力会社の社員は原発の近くには住まない」
というものです。
薩摩川内市の九電社宅があるのも、
原発から10km以上離れた川内駅裏のH町というところです。


3号機の増設が持ち上がってから公聴会までの1年余り、
市民も議員も賛成、反対と言ってきました。

賛成陳情をする人の主張はいつも
「27年間の安全運転の実績と信頼」
「雇用、活性化」
「CO2削減」
ほとんどこの3点ばかりでした。

薩摩川内市民が信頼している安全運転を
電力会社自らが信じていないということになります。

そして九州電力の原発もまた一番の電力消費地であり、
九電本社のある福岡県にはなく、
佐賀県と鹿児島県にあるのです。

九電の原発










「原発は危険である」
「その危険を一部の人に押しつけなければ原発を動かすことはできない」
「だから原発を作ってはいけない」
それが小出先生のお話でした。

その日会場に集まっていた人のほとんどが
薩摩川内市民であったと思います。

「みんなが便利な生活をするために
私たちは危険を引き受けさせられている」
その現実が私たちに突き付けられました。

この説明が薩摩川内市民全員に届いてほしいと思いました。


しかし、その後の原発委員会で
この公聴会での内容が議論されることもなく、
わずか6日後の26日に賛成陳情が採択、
反対陳情が不採択となりました。

公聴会の後















4月26日はチェルノブイリ原発事故が起きた日、
その日は事故から24年目という日でした。

そして、私が福島にある東電の原発のことを知ってから1年もたたないうちに、
その原発が大変な事故を起こしてしまいました。


「東電と福島と小出先生(つづき)」に続く