【鹿児島・薩摩川内】脱原発イベントのご案内

★ 川内原発再稼働抗議行動

  毎週金曜日 午後6時~7時
  JR川内駅前(九州電力川内営業所前でしていましたが、駅前に移動しました)
  





2011年7月30日土曜日

「団扇(うちわ)で脱原発」プロジェクト川内(せんだい)

昨年の夏、「原子力ポスターコンクール」がネット上でとても話題になっていました。

「子どもにこんなものを描かせるなんて許せない!」と怒ったおとなが
「脱原発ポスター展」を作りました。

その後福島で原発事故が起き、
たくさんの人がポスターをダウンロードしてデモに参加しました。

他にもバッヂやTシャツなどいろいろなものを見かけました。

「脱原発ポスター展」事務局ブログより
「6.11 100万人アクション」バッヂ











「えっ足りてたの」Tシャツ






















そして、ついに団扇(うちわ)が登場しました。
題して「めざせ10万枚! 団扇(うちわ)で脱原発プロジェクト」

メッセージ入りうちわ:京都から「脱原発」の風
























関西の人が中心になって制作。
京都の祇園祭などいろいろな場所で配られて、
たくさんの人がパタパタしてます。

京大の小出先生もパタパタ























前置きが長くなってしまいました。



そういうわけで川内原発地元の薩摩川内市でも団扇を配ることになりました~(パチパチ)。

九電つながりの玄海原発地元玄海町花火大会ではすでに配られました。

玄海花火大祭参加者の手に脱原発団扇が















薩摩川内市の花火大会は8月16日。

それまでに涼しくなってしまったらどうしようと心配しながらとりあえず注文してみました。

カンパしてくれた人への御礼用に袋詰めしてみました
















グリーンのタイプが品切れで
川内で配ることができるのは4種類のみですが、
ダンボール2箱の団扇はすごい存在感です。



我が家の子どもたちにはこのタイプが好評でした。


脱原発標語がびっしり書かれているタイプ


















標語を読んで、どこに書いてあるか当てっこして遊んでいました。
(カルタのように)

我が子の一番のお気に入りの標語は「すべての原発を豆腐に!」



そういえばドーム型の川内原発と違って、福島第一原発は四角くてお豆腐みたいかも。


さて、どうしましょう。
「第53回 川内川花火大会」でこのうちわを配ることができるでしょうか?
また追って報告します。


【お知らせ】


カンパ募集中です。1000円/1口で団扇10枚プレゼントします。
コメント欄でお知らせください。

無料で団扇が欲しい方は花火大会の日にもらいに来て下さいね。

団扇を配る人、サクラも募集中です。
サクラの方は団扇を受け取って大げさに喜んでください(交通費は支給できません)。

(つづく)

2011年7月8日金曜日

鎌田慧さんのお話と「広報せんだい」

 7月5日に鎌田慧さんの講演会に行ってきました。
夕方6時からということでしたが、
私が会場に到着した10分前にはまだお客様はまばら・・・。
と思っていたら、その後続々と到着。
みなさん平日はお仕事で、終わってから駆けつけられたんですね。

鎌田慧緊急講演会 

日本の原発危険地帯 「3・11」以後を共に生き延びるために。
原発社会をこえて 『原発各地をまわった私の結論とは
~原発は民主主義の対極に存在するということであった』






















講演のはじめに鎌田さんは、
川内原発の近くに住んで毎日首相、経産通産大臣、科技庁長官に
手紙を出していたおばあちゃんに会ったときのことを話されました。
以前このブログでも紹介した前田トミさんのことです→「村栄え」
こちらも→「いいお産の日in鹿児島・いのちを考える上映会」

講演の内容は題名の通り、
「原発はいかにして住民を騙しながら作られていったか」というお話でした。
(講演の動画はありませんがだいたいこのようなお話でした
【動画】げんぱつ列島を問う・鎌田慧

講演の後の質疑のときに、
前田トミさんの息子さんが名乗られ、お礼を言われました。
懐かしい人の名前が出て、みんな嬉しそうでした。

講演終了後は会場を移して交流会でしたが、
私は明日も子どもたちを学校や保育園へやらないといけないので帰宅。

会場で売られていた「九州の原発」(南方新社)
以前は「原発から風が吹く」という題名でしたが、
東電原発事故後のことも加わって生まれ変わりました。




















講演から2日たった今日、
なぜか突然思い立って2冊の本をひっぱり出しました。

市政施行50周年記念
「広報せんだい縮刷版Ⅰ、Ⅱ」



















以前、古紙回収のときに見つけて拾ってきて一度も開いたことのない本です。
昭和25年4月号(創刊号)から昭和60年3月までの広報が詰まっています。

「かまどの始末に気をつけましょう」とか
「農村で出稼ぎが増えて子どもがほったらかしになるので保育園を作りました」
というような記事もあります。
若かりし頃の義母の投稿も見つけました。

しかし、昭和40年あたりから「原子力発電所」という文字が頻繁に出てくるようになります。

「広報せんだい」第139号 昭和40年1月15日

河口一帯を対象に立地調査始まる 
近年、原子力の平和利用は急速に進み、世界各国ではすでに
数多くの原子力発電所が稼働しています。
わが国でも原子力発電会社の茨城県東海発電所が今期発電を
開始するのを皮切りに、 敦賀市や福井県美浜町、福島県大熊町
などに原子力発電所の建設が決定しています。
国では、昨年度から5か年計画で全国20か所を対象にその地域
が原子力発電所の建設に適しているかどうかについて調査を行う
こととし、本年度の調査地区3か所のうち九州で初めて川内川河口
一帯が選ばれ1月5日から現地で電波探知機による地耐力調査が
行われています。
この調査に引き続いてボーリング調査、気象調査などが実施され
ますが、調査の結果がよければ、原子力発電所の誘致も可能となる
だけに調査結果が期待されています。」


「広報せんだい」第144号 昭和40年6月10日


原子力発電所誘致など協議
 北薩青年商工クラブ定期総会 川内市で開く

北薩青年将校クラブ連絡協議会定期総会は、
5月28日老人福祉センターに川内、阿久根、
出水市など7クラブ員およそ100人が集まって
盛大に開かれました。
(中略)
中でも、川内商工クラブが提案した
『原子力発電所誘致運動』については、
関心も高まりその必要性と有益性について
①平和産業に使う
②敷地が広く買収がしやすい
③真水が多く付近に人家がない
④送電しやすく、電気料金が安くなる
⑤国家的投資が大きい
⑥北薩の商工観光地として発展すること
などがあげられ関心を集めていました。
(後略)」

後半の記事の「必要性と有益性」については、
半分くらいはよくわからない(真水?)
(送電しやすい?)ものもあります。



fその後、原発に関する記事は増え続け、
昭和42年2月号ではこんな記事もあります。


川内原発の誘致 地元の協力がカギ
  熱意が九電を動かす

川内市の新年度の最大目標の一つは 原子力発電所の誘致です。
(中略)
本県の場合、電力の消費が少なく、原子力発電による多量の電気を
消費するには、10年も先のことになるのですが、それにもかかわらず
九電が『もっとも有力な候補地』と言っているのはやはり地元の熱意が
強かったからだと思います。
他の候補地でも、県知事や町長をはじめ有力者が声を大きくして
誘致運動を進めていますから、建設地が川内市に決定するまでは
決して油断がなりません。


反対があれば中止

もし、ここで市や県の誘致体制に少しでもヒビが入るとすれば、たちまち
建設はできなくなりましょう。
もともと本誌の立地条件は、佐賀県や大分県、宮崎県の候補地と比べて
必ずしも良好とはいえませんし、かねて九電は反対があればいつでも中止
すると言っているからです。
私たちは、原子力発電所の安全性や公害について、必要以上に恐れたり、
単なる想像やうわさにまどわされて、市発展の絶好のチャンスを逃しては
ならないと思います。
(後略)

安全性のわけ 燃えないフィルム(略)
基準以下の放射能

(前略)
このように、原子力発電所の安全性が高まってきたために、アメリカでは
ニューヨークや他の市街地の真ん中に建設する計画さえすすめられている
のです。
日本の場合は、住民の意識がそこまでいっていませんのでまだ一般に
へき地を選んで建設している状態です。
時がたって、各所に建設されないうちに、是非とも誘致して、市財政の充実や、
市の工業開発を促進しなければなりません。
(後略)

原子力発電所の安全性について、簡単に述べましたが、詳しい資料や、話は
市企画課にいつでもお問い合わせください。
根拠のない流言や、悪いウワサにまどわされないようにいたしましょう。」



九電に他の市町と競わされ、市が先頭に立ってなりふり構わず誘致を急ぐ様子
が伝わってきます。
また、「反対があると誘致ができない」と九電に言われることで、推進の住民が
反対の住民の運動をつぶし、住民同士が反目させられる状況も作られています。


これは市の広報なので反対運動についての詳しい記述はありませんが、
激しい抵抗があったことは行間から伝わってきます。
(反対運動については「九州の原発」を参考にしてください)

「市を二分するほどの反対運動があった」ということは、市にとってはマイナス
なのでしょうか。
今を生きる私たちにとって、抵抗の歴史、トミさんの存在はどんな意味がある
のでしょうか。