【鹿児島・薩摩川内】脱原発イベントのご案内

★ 川内原発再稼働抗議行動

  毎週金曜日 午後6時~7時
  JR川内駅前(九州電力川内営業所前でしていましたが、駅前に移動しました)
  





2011年7月8日金曜日

鎌田慧さんのお話と「広報せんだい」

 7月5日に鎌田慧さんの講演会に行ってきました。
夕方6時からということでしたが、
私が会場に到着した10分前にはまだお客様はまばら・・・。
と思っていたら、その後続々と到着。
みなさん平日はお仕事で、終わってから駆けつけられたんですね。

鎌田慧緊急講演会 

日本の原発危険地帯 「3・11」以後を共に生き延びるために。
原発社会をこえて 『原発各地をまわった私の結論とは
~原発は民主主義の対極に存在するということであった』






















講演のはじめに鎌田さんは、
川内原発の近くに住んで毎日首相、経産通産大臣、科技庁長官に
手紙を出していたおばあちゃんに会ったときのことを話されました。
以前このブログでも紹介した前田トミさんのことです→「村栄え」
こちらも→「いいお産の日in鹿児島・いのちを考える上映会」

講演の内容は題名の通り、
「原発はいかにして住民を騙しながら作られていったか」というお話でした。
(講演の動画はありませんがだいたいこのようなお話でした
→【動画】げんぱつ列島を問う・鎌田慧)

講演の後の質疑のときに、
前田トミさんの息子さんが名乗られ、お礼を言われました。
懐かしい人の名前が出て、みんな嬉しそうでした。

講演終了後は会場を移して交流会でしたが、
私は明日も子どもたちを学校や保育園へやらないといけないので帰宅。

会場で売られていた「九州の原発」(南方新社)。
以前は「原発から風が吹く」という題名でしたが、
東電原発事故後のことも加わって生まれ変わりました。




















講演から2日たった今日、
なぜか突然思い立って2冊の本をひっぱり出しました。

市政施行50周年記念
「広報せんだい縮刷版Ⅰ、Ⅱ」



















以前、古紙回収のときに見つけて拾ってきて一度も開いたことのない本です。
昭和25年4月号(創刊号)から昭和60年3月までの広報が詰まっています。

「かまどの始末に気をつけましょう」とか
「農村で出稼ぎが増えて子どもがほったらかしになるので保育園を作りました」
というような記事もあります。
若かりし頃の義母の投稿も見つけました。

しかし、昭和40年あたりから「原子力発電所」という文字が頻繁に出てくるようになります。

「広報せんだい」第139号 昭和40年1月15日

「河口一帯を対象に立地調査始まる 
近年、原子力の平和利用は急速に進み、世界各国ではすでに
数多くの原子力発電所が稼働しています。
わが国でも原子力発電会社の茨城県東海発電所が今期発電を
開始するのを皮切りに、 敦賀市や福井県美浜町、福島県大熊町
などに原子力発電所の建設が決定しています。
国では、昨年度から5か年計画で全国20か所を対象にその地域
が原子力発電所の建設に適しているかどうかについて調査を行う
こととし、本年度の調査地区3か所のうち九州で初めて川内川河口
一帯が選ばれ1月5日から現地で電波探知機による地耐力調査が
行われています。
この調査に引き続いてボーリング調査、気象調査などが実施され
ますが、調査の結果がよければ、原子力発電所の誘致も可能となる
だけに調査結果が期待されています。」


「広報せんだい」第144号 昭和40年6月10日


「原子力発電所誘致など協議
 北薩青年商工クラブ定期総会 川内市で開く

北薩青年将校クラブ連絡協議会定期総会は、
5月28日老人福祉センターに川内、阿久根、
出水市など7クラブ員およそ100人が集まって
盛大に開かれました。
(中略)
中でも、川内商工クラブが提案した
『原子力発電所誘致運動』については、
関心も高まりその必要性と有益性について
①平和産業に使う
②敷地が広く買収がしやすい
③真水が多く付近に人家がない
④送電しやすく、電気料金が安くなる
⑤国家的投資が大きい
⑥北薩の商工観光地として発展すること
などがあげられ関心を集めていました。
(後略)」

後半の記事の「必要性と有益性」については、
半分くらいはよくわからない(真水?)
(送電しやすい?)ものもあります。



fその後、原発に関する記事は増え続け、
昭和42年2月号ではこんな記事もあります。


「川内原発の誘致 地元の協力がカギ
  熱意が九電を動かす

川内市の新年度の最大目標の一つは 原子力発電所の誘致です。
(中略)
本県の場合、電力の消費が少なく、原子力発電による多量の電気を
消費するには、10年も先のことになるのですが、それにもかかわらず
九電が『もっとも有力な候補地』と言っているのはやはり地元の熱意が
強かったからだと思います。
他の候補地でも、県知事や町長をはじめ有力者が声を大きくして
誘致運動を進めていますから、建設地が川内市に決定するまでは
決して油断がなりません。


反対があれば中止

もし、ここで市や県の誘致体制に少しでもヒビが入るとすれば、たちまち
建設はできなくなりましょう。
もともと本誌の立地条件は、佐賀県や大分県、宮崎県の候補地と比べて
必ずしも良好とはいえませんし、かねて九電は反対があればいつでも中止
すると言っているからです。
私たちは、原子力発電所の安全性や公害について、必要以上に恐れたり、
単なる想像やうわさにまどわされて、市発展の絶好のチャンスを逃しては
ならないと思います。
(後略)

安全性のわけ 燃えないフィルム(略)
基準以下の放射能

(前略)
このように、原子力発電所の安全性が高まってきたために、アメリカでは
ニューヨークや他の市街地の真ん中に建設する計画さえすすめられている
のです。
日本の場合は、住民の意識がそこまでいっていませんのでまだ一般に
へき地を選んで建設している状態です。
時がたって、各所に建設されないうちに、是非とも誘致して、市財政の充実や、
市の工業開発を促進しなければなりません。
(後略)

原子力発電所の安全性について、簡単に述べましたが、詳しい資料や、話は
市企画課にいつでもお問い合わせください。
根拠のない流言や、悪いウワサにまどわされないようにいたしましょう。」



九電に他の市町と競わされ、市が先頭に立ってなりふり構わず誘致を急ぐ様子
が伝わってきます。
また、「反対があると誘致ができない」と九電に言われることで、推進の住民が
反対の住民の運動をつぶし、住民同士が反目させられる状況も作られています。


これは市の広報なので反対運動についての詳しい記述はありませんが、
激しい抵抗があったことは行間から伝わってきます。
(反対運動については「九州の原発」を参考にしてください)

「市を二分するほどの反対運動があった」ということは、市にとってはマイナス
なのでしょうか。
今を生きる私たちにとって、抵抗の歴史、トミさんの存在はどんな意味がある
のでしょうか。

2011年6月2日木曜日

東電と福島と小出先生(つづき)

前、前、前回の「東電と福島と小出先生」、
小出先生のお話にはさらにつづきがあったことを思い出しました。

それは
「原発がCO2を出さなくて環境によくて
他にもいいところがいっぱいあるんだったら
交付金をもらわないで作ればいいのでは?」
というものでした。

これはもとは小出先生ではなく他の人が言ったセリフなのだそうです。

記憶があいまいで間違っているかもしれないのですが、
元高知県知事の橋本大二郎さんだったような気がします。

会場の空気が一瞬凍りついたような気がしました。



ところで交付金ってそんなにもらえるんでしょうか?

住民としてはそんなにもらっているという実感はないのですけど。


「原子力広報薩摩川内2011/1 No.24」の3ページ目には、
「平成21年度 電源立地地域対策交付金による事業紹介」が載っています。



























小中学校や保健センターに使われているということは、
私も間接的にお世話になっているということになります。


また、2~3日前に届いた「薩摩川内市議会だより 6月1日 No.27」には、
「~一般会計 初の500億円台に~ 平成23年度当初予算を可決」とあります。






















人口が減っているはずなのに歳入が増えるとは?
どうしてなんでしょう??


でも、この「市議会だより」が届く少し前の新聞にはこんな記事が。

「川内原発3号機増設 予算や事業見直しへ 交付金見通しつかず」


2011/5/14 南日本新聞


「 福島第一原発事故を受け、九州電力の
川内3号機増設による国の電源立地地域
対策交付金や九電の協力金を当て込んで
いた薩摩川内市が予算や地域振興事業
の見直しを迫られている。
九電の増設手続きが事実上ストップ、国
への交付金申請ができないためだ。
中心市街地活性化の核と位置付け、2010
年度から調査検討を始めた複合拠点施設 
建設計画を凍結する可能性も出てきた。」


3号機はまだできていなくても、
作ると言っただけでお金がもらえるということでしょうか?

交付金だけではなく、
九電の協力金というのもあるようです。






「 3月には運転開始予定とされていた19年度までに、
電源立地地域対策交付金約900億円が入ると試算。
その後の10年間は約100億円の交付金、固定資産
税約200億円の税収を見込み、九電からの協力金
名目の寄付にも期待していた。」


運転開始までに900億円!
まだ発電してないのにどこからお金が出てくるのでしょう?



「 文化施設や生涯学習推進施設、商業施設を集積
する複合拠点施設建設計画の事業費は50億円規模
としていた。
3号機の重要電源開発地点指定直後から施設建設へ
向け、適地などを選ぶ調査に着手。
本年度予算では、基本構想策定に2千万円を計上した。」


ハコモノは維持管理費が大変でその後の借金が増大するばかりという
1,2号機のときの反省はどこへ?



実はこういうことのようですが・・・。

「 合併10年を迎える14年度以降、合併特例措置に
よる財政上の優遇措置が縮小する。
同市は収入の落ち込みを交付金でカバーし、振興策
を進めようとしている。」



・・・こんなのもあります。

「薩摩川内市 平成23年度当初予算の概要」

歳入の第1位は「地方交付税」170億3,000万円で33.1%。
第2位が「市税」で106億7,533万6千円で20.8%。

1p 一般会計514億2,000万円の歳入内訳



7ページ目には丁寧に
「薩摩川内市の平成23年度家計簿」というのがついています。

「 総額514億2千万円の薩摩川内市一般会計を、
一般の家庭でたとえてみたらどのようなくらしぶりでしょう。」

下の円グラフを見ると、
1ケ月の生活費48万1千円のうち27万9千円(58.0%)が
「親・兄弟からの援助=交付金など」になっています。

「給料=市税」は10万円(20.8%)。

「パート収入=負担金・使用料など」は2万円(4.2%)。

7p 薩摩川内市の平成23年度家計簿




























・・・大丈夫でしょうか??

原発事故の方が心配ですが。

2011年5月24日火曜日

「つゆくさ会」からお知らせいろいろ

昨日は「つゆくさ会」がありました。

月に一度の定例会ですが、
このところ、毎回新しい人の参加があります。

昨日は、埼玉出身で水俣の農家に滞在中という女性がいらっしゃいました。
埼玉から避難をしてこられて、
5月18日の九電申し入れのときに
つゆくさ会のメンバーと出会ったということでした。

九電前はいろいろな人の出会いの場になっている様子。
とりあえず避難をしてきた人が、
情報を求めてここに立ち寄る姿もあるそうです。
「天文館アトムズ」のメンバーも
九電前で新しい出会いがあったようです。

「天文館アトムズ No Nukes Kagoshima」より















また、昨日のつゆくさ会には、
NHKのテレビ取材の方もいらっしゃいました。

先日の「げんぱついらないパレードinかごしま」も
たくさんの地元マスコミに取り上げていただき、
3.11以前より何かが変わってきたと感じることもたびたびあります。

つゆくさメンバーの中でも
「署名が集めやすくなった」
「ほかの人から原発の話題が出るようになった」
「“私たちのためにありがとう”とお礼を言われた」
など、いろいろ変化があるようです。

しかし、「原発推進」の市の方針は相変わらず。
「仕事ななくなると心配している人もいる」
「福島のことは他人事のよう」
「九電の人は川内原発は福島原発と方が違うので大丈夫と言っている」
「税収が減る!?ことをしんぱいしているひともいるのでは?」
などなど、考えなくてはならないこともたくさんです。


この日のつゆくさ会の持ちより料理












そんな中での「つゆくさ会」からおしらせいろいろです。


① 「薩摩川内市長へ5万人署名」川内原発3号機の増設中止を求めて~

これは薩摩川内市民しか署名ができません。
今年(2011年)いっぱいやってます。
署名したい方、署名集めたい方、コメントください。


② 「脱原発講座」 崎山比早子氏講演会「福島原発事故と放射能汚染による健康障害」

6月25日(土)14時~ 薩摩川内市国際交流センターコンベンションホール

※チラシは現在作成中
※「脱原発講座」10月22日(土)は小出裕章氏講演会です。


③ 「田中優氏講演会」

6月18日(土)18時~ 出水市音楽ホール 500円 託児あり 











※17日(金)は鹿児島市



④ 今年の8月の九州全体の脱原発合宿は薩摩川内市で行われることになりました。


⑤ 水俣でも「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会が行われます。

6月25日(土)10:00~、14:00~、18:00~、水俣市公民館



以上お知らせでした。

2011年5月22日日曜日

げんぱついらないパレードinかごしま

昨日は「げんぱついらないパレードinかごしま」に参加してきました。
午後2:00~4:00あたりに天文館にいらっしゃった方大変お騒がせをいたしました。

また、沿道でこのようなチラシを受け取ってくださった方ありがとうございました。
↓














厳密にいうとこのチラシをここに引用するのは間違っています。

今日私たちが配っていたチラシ・・・
・・・帰ってよく見てみたら日付が6月11日になっていました。

またやるらしいです(汗)。



私が天文館アトムズ主催のデモパレードに参加したのは今回で3回目でした。
(今回はげんぱついらないパレードinかごしま実行委員会主催ですが)
昨年の10月9日の「no nukes day 天文館車道パレード」。
そして、一昨年(2009年)の10月にも天文館パレードがありました。

(トラクターデモというのもありましたが、
こちらは有機農業団体の方々が中心になって行われました)


2009年のパレードのときの動画や写真は探したけど見つかりません。
あのときは熊本から来たラッパや太鼓の楽隊の人たちがいました。
今でも耳にこびりついて離れない、スゴイとしか表現できない音でした。

そのときは、お店が少し出ていました。

手作り鳥居のノーニュークス神社でおみくじを引いたら
「放射能を無毒化する方法を発見」と書いてありました。

主催者の方が終わりのあいさつのときに
「アースデイのときに出店した人に声をかけたけど、
”反原発ということだったら協力できない”という人もたくさんいた」
と話されました。

アースデイと同じ場所、同じ主催者なのに、ノーニュークスの方は出店者はわずか。
パレードも熊本からの応援がなければ、わずかな人数だったと思います。


その翌年、2010年のパレードは「ミツバチの羽音と地球の回転」
という映画の上映会といっしょに行われました。
その日に「川内ミツバチ実行委員会」も結成されたという記念すべき日です。
映画を見ながら「あ・うんcafe」のカレーの匂いが会場に充満していたのを思い出します。

そのパレードでは、映画の宣伝のチラシを配りながら歩きました。
「今年のデモはいいですよ」と警察の方から褒められたりもしました。
前の年が少々過激すぎた!?


そして、東電が福島で起こした事故を受けての今回のデモ。

主催者の発表がないので正確な人数は分かりませんが、
たくさんの人が参加して、たくさんの想いを表現していました。

布に想いを書いてもらいました













都会での何万人というデモには及びませんが、
ひとりひとりの熱い気持ちはみんな同じです。

しかし、原発立地県であるがゆえの心配や悩みもあります。

ずっとここで暮らしたい!















「原発や関連企業で働く人を傷つけるのではないだろうか・・・」

「利権が絡むので、表立って反対するのは怖い・・・」

「自分も原発の恩恵を受けているので声を上げづらい・・・」

たしかに、今までの国やマスコミをあげての
「原発はクリーン」
「原発は安全」
というキャンペーンの中ではそうでした。

でも、今はテレビや雑誌でも
「原発は高コスト」
「原発は危険」
ということが取り上げられるようになってきました。



テレビ番組の中で、福島で被災された方々が
「原発さえなかったら・・・」
と口にされるのを何度も耳にしました。

「安全」
「大丈夫」
と言われ、そのことばを信じていたけど、
被曝をしていたかもしれないことを
後から知らされた人々の想いは・・・。

風船はどこまで飛んだ!















鹿児島に住む私たちも
「原発がある限り不安と隣り合わせの毎日」
「原発で大事故が起きたら
今住んでいる家や土地に二度と帰れないかもしれない」
ということを考えなくてはいけません。

鹿児島市も川内原発からわずか40~50km。
ということで、
集まっているみなさんも
「いつ自分が住んでいる土地が放射能のホットスポットになるか分からない」
という危機感を持っていらっしゃいます。

グリーンコープの元気くんも参加















今回は「子どもたちを守りたい」
と立ちあがった子育て中のお母さんたちもたくさん参加していました。

赤ちゃんポスター持参
















お母さんも























お父さんも
子どもも
















いつまでもずっとここで暮らせますように。











実行委員会のみなさまもお疲れ様でした。















ありがとう。

2011年5月12日木曜日

東電と福島と小出先生

私が福島原発のことを知ったのは、昨年(2010年)の4月20日でした。

それまで私は福島に原発があることを知りませんでした。

↓こんな地図を見たことはあったけど、ぼんやりと眺めていただけでした。

日本の原発














その日は薩摩川内市の
「原子力発電所対策調査特別委員会公聴会」でした。

原発公聴会(「市議会だより」より)
















川内原発の3号機増設の賛否を審査するための公聴会ということで、
賛成、反対の立場から市民が3人ずつ、
学識経験者が1人ずつ意見を述べました。

そのときの反対の立場の学識経験者が
京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生でした。

市民も学識経験者も持ち時間はたったの10分。
「10分しかないので私はこのことだけに絞って説明します」
と小出先生が言われて見せて下さったのがこの図でした。

自分の給電範囲から原発を追いだした東京電力(東京電力の冊子より)


























「東京電力の原発は福島と新潟にある」
「人口密集地に原発を作らないのは原発が危険だからだ」
そういう説明でした。

さらにこういう説明が続きました。

原子力安全白書





















「安全というのは神話であり、過剰な信頼であり、過信であり、
事故の風化であり、分かりやすさの追求であり、願望でしかない」

「電力会社も原発が安全とは思っていない」

「なぜなら原子力損害賠償法という法律によって、
もし大事故が起きたとしても電力会社は
限度額以上の賠償をしなくてもよいことになっている」

原発大事故時の賠償限度額




























「絶対に安全で事故が起きないというのなら
なぜ限度額を決めておく必要があるのだろうか」

「原発は危ない、
事故は起きるかもしれない、
と一番よく分かっているのが電力会社なのだ」


このことは他でも聞いたことがありました。
「電力会社の社員は原発の近くには住まない」
というものです。
薩摩川内市の九電社宅があるのも、
原発から10km以上離れた川内駅裏のH町というところです。


3号機の増設が持ち上がってから公聴会までの1年余り、
市民も議員も賛成、反対と言ってきました。

賛成陳情をする人の主張はいつも
「27年間の安全運転の実績と信頼」
「雇用、活性化」
「CO2削減」
ほとんどこの3点ばかりでした。

薩摩川内市民が信頼している安全運転を
電力会社自らが信じていないということになります。

そして九州電力の原発もまた一番の電力消費地であり、
九電本社のある福岡県にはなく、
佐賀県と鹿児島県にあるのです。

九電の原発










「原発は危険である」
「その危険を一部の人に押しつけなければ原発を動かすことはできない」
「だから原発を作ってはいけない」
それが小出先生のお話でした。

その日会場に集まっていた人のほとんどが
薩摩川内市民であったと思います。

「みんなが便利な生活をするために
私たちは危険を引き受けさせられている」
その現実が私たちに突き付けられました。

この説明が薩摩川内市民全員に届いてほしいと思いました。


しかし、その後の原発委員会で
この公聴会での内容が議論されることもなく、
わずか6日後の26日に賛成陳情が採択、
反対陳情が不採択となりました。

公聴会の後















4月26日はチェルノブイリ原発事故が起きた日、
その日は事故から24年目という日でした。

そして、私が福島にある東電の原発のことを知ってから1年もたたないうちに、
その原発が大変な事故を起こしてしまいました。


「東電と福島と小出先生(つづき)」に続く

2011年4月22日金曜日

つゆくさ会にいらっしゃいませんか?

4月20日は、東電原発事故後二度目のつゆくさ会でした。

この日も初参加の方がひとり。
もともとつゆくさ会はチェルノブイリ原発事故の頃から活動しているので
50~60代の方々が中心なのですが、
2年前に川内原発3号機増設の話が持ち上がってからは30代のメンバーも増えてきました。

一品持ち寄りのお料理










私が参加し始めたのも1年半前。
それまで薩摩川内市内で原発について考えているグループがあることすら知りませんでした。

私がつゆくさ会を知るきっかけになったのは
2年前の「アースデイ鹿児島」でした。
私は「いいお産の日in鹿児島」で参加。
会場で「反原発かごしまネット」の方に出会い、
その会報「南の風通信」に載っていたつゆくさ会の方に連絡を取ったのがその年の夏でした。

それまでは市内で原発に反対しているのは私一人だけなんじゃないかと思っていました。
推進の声は広報などを通じて聞こえてくるけどそれ以外の声は全く聞こえてきませんでした。
選挙のときに「原発反対」と書いている議員さんのポスターを目にするとき以外に
地元で原発に反対する人の情報が入ってくることはありませんでした。

私は焼き芋持参で参加











今回初めてつゆくさ会に参加した人は、
参加者の中でいちばん原発に近いところに住んでいらっしゃいました。
今までも原発についていろいろ思うことがあったけど
誰に話していいかわからなかったということでした。
グリーンコープつながりでつゆくさ会のことを知ったそうです。

桜の花びら調査の報告もありました















昨年の4月20日は川内原発3号機増設公聴会が開かれた日でした。
反対派の学識経験者は小出裕章さんでした。

あれからちょうど1年。
いろいろなことがありました。
市議会原発委員会は20日に大々的に公聴会を開いて、
それから一週間もたたない26日(チェルノブイリ原発事故があった日)に
「審議は尽くした」
「これ以上待たせると市民に迷惑をかける」
として賛成陳情を採択、
6月に本会議も賛成陳情採択。
そのすぐ後に岩切市長も増設に同意をしたのでした。
「判断を延ばせば市民に混乱が生じる」
という理由でした。



これからしばらくは署名活動をします。
「かざぐるまフレンドシップキルト」もできつつあります。














川内原発のことを考えている方、
つゆくさ会にいらっしゃいませんか?


2011年4月14日木曜日

鹿児島県議会議員選挙で薩摩川内市民もがんばりました

4月10日は鹿児島県議会議員の投票日でした。
私が住む薩摩川内市区からは
4人の候補者が3議席を争っていました。

現職の自民党議員さんが3人に
無所属新人のとおじまさん。

この中でとおじまさんだけが反原発を訴えていました。

選挙ポスターにも「3号機増設見直し」


















3号機増設の話が出てきてから2年余り、
薩摩川内市民は常にこの問題に向きあってきました。

市の原発特別委員会、市、県と、
増設に向かってシナリオ通りに突き進んでいく中で、
「もうこれしかない」という手段が今回の選挙でした。


とおじまさんは産廃問題にも関わっています。
今回の選挙は産廃の反対運動の方々も頑張っていらっしゃいました。

私も不勉強でよく知らなかったのですが、
日本各地の産廃で「シートが破れる」「地下水汚染」などの問題が起きているそうです。
市の広報だけを見ていたのでは分からなかったことばかりです。

こういうことは原発の問題によく似ています。
「原子力広報薩摩川内」などで繰り返しきれいで安全な部分だけを見せられるのです。
そして「もうこんなにお金を使っているんだから仕方がないのですよ」と思わせられるのです。

電源立地交付金による事業紹介
「原子力広報薩摩川内No24」





























以前署名活動をしていたときには
「もうあんなにホテルがいっぱい建っているんだから
原発作らないわけにはいかないんじゃない」
という人もいました。

なぜホテルと原発が関係あるかというと
工事や定期検査でたくさん人が入るからと言われています



















自民党議員が議席を独占していたことと
その間に産廃や原発の建設が持ち上がったことには何か関係があるのでしょうか?
それとも偶然でしょうか?
(議員活動の成果かも…)


話はもどって、
選挙の結果はとおじまさん当選でした。

選挙前に私が声をかけた人は
「とーじまさん?誰?」
という反応を示す人が圧倒的多数。
「原発反対しているのは○○さん(自民)だけでしょ。」
という勘違いの人や、
「とおじまさんがひっちゃれるってみんな言ってるよ。」
という人も。

でもちゃんと説明をしたら、
「原発に反対してくれる人を選ばないとね。」
という人がほとんどでした。

福島の事故がなければここまでの結果はなかったかもしれません。
それを思うと複雑な心境でもあります。

でも、選挙で終わりではありません。

産廃はもうじき着工とのうわさもあります。
原発も「あの時もっとがんばって止めていれば」
ということになってはいけません。

市民の声を届けるパイプができたので、
声をあげなくでは!です。

デモやイベントに比べると
議会の傍聴や陳情書を書くことは地味ですが、
みんなでやると楽しいかもしれません。

まずは意思表示!















全国各地で脱原発デモに初参加した方がたくさんいらっしゃったようです。
今度は地元の議会に若い人がたくさん傍聴に行くというのもよいかもしれません。