【鹿児島・薩摩川内】脱原発イベントのご案内

★ 川内原発再稼働抗議行動

  毎週金曜日 午後6時~7時
  JR川内駅前(九州電力川内営業所前でしていましたが、駅前に移動しました)
  





2010年11月10日水曜日

村栄え

 2007.5.25 村栄え

5月15日、午前7時35分、

前田トミさんが息を引き取った。

82歳であった。

川内に原発話が持ち込まれた当初から、

その死に至るまで、

一貫して現地・久見崎に暮らし、

反対の声を上げ続けてきた。

まさに闘士だった。

以前、トミさんから伺った話をもとに、

西日本新聞に「村栄え」と題したコラムを書いたことがある。

以下再録して、

トミさんを偲びたい。



何もない田舎は、

何もないことが価値なのであるが、

背伸びしてちょっとましな暮らしを望むと、

とんでもないババを掴まされることがある。

笑えない話だが、

九州電力川内原発はその典型なのである。

地元の村に住み、

計画当初からずっと原発を見続けている前田トミさんの話を聞いて、

つくづくそう思った。

出稼ぎで何とか暮らしを立てていた寒村に、

「原発ができれば、

施設での仕事がいっぱい増えて、

出稼ぎに行かなくてもよくなる」と、

立地担当者は胸を張って言ってまわったという。

「九電の家族連れの職員がいっぱい住むようになるから、

村には子どもがあふれるだろう」

とも予言した。

そうなると、

「小学校の校舎は新築され、

プールもできる」と。


原発建設が始まってから30年後、

現実はこうだ。

いったんできてしまえば、

専門知識のない地元の人にできる仕事はない。

無理して働こうとしても、

あるのは放射能を浴びる危険な被爆労働くらいのものである。

小学校はどうなったか。

150人はいた小学校の生徒はその後減り続け、

十数人に。

廃校寸前である。

頼みの九電の社員は家族を危険にさらしたくないのか、

はるか遠くから通勤するようになったのである。

立地担当者の約束が守られたのは、

歓声の絶えた小学校にのこる、

鉄筋の校舎とプールだけ。


「村栄え、人あふれる」夢は、

あえなく夢に終わった。

貧乏な田舎の人間は、

大企業のエリートにコロコロと騙されていった、

と前田さんは語る。

田舎の人間が純朴だから騙されたのではない。

欲に目がくらんで転んでいったのである。

お金に縁がなければ、

ないなりに日々の暮らしを楽しむ術を人々は知っていた。

そこに、

幻想の明るい村の未来が振りまかれ、

とどめを刺したのは金であった。

最初は反対で一致していた地元の人も、

一人、また一人と口をつぐんでいったという。

思いもかけない裏切りもあった。

エリートたちは、

人々の欲をあぶり出し、

ウソと金を道具として、

目的を成した。

この世の薄汚い現実をこれほどはっきりと見せてくれる原発は、

逆に貴重な存在なのである。」

南方新社ブログ~からいも畑から~