【鹿児島・薩摩川内】脱原発イベントのご案内

★ 川内原発再稼働抗議行動

  毎週金曜日 午後6時~7時
  JR川内駅前(九州電力川内営業所前でしていましたが、駅前に移動しました)
  





2011年10月10日月曜日

福島から来た友だち(2)

「福島から来た友だち(1)」からの続き


翌日は登校日。

広島の学校では夏休みの登校日は平和教育が行われます。

私が子どもの頃も、第1回目の登校日はいつも8月6日前後。
原爆などに関する平和教育が行われていました。

3年生から6年生までの男子4人が登校します。
着替えと朝食をすませて6時半からラジオ体操。
7時には家を出ます。

学校までは約3.5km




















一気に静かになりました。
男の子たちは、朝っぱらから、少しの時間を見つけては、
カードゲームや将棋をしてましたから。

将棋の上手いS君を褒めると
「外で遊べないから・・・」
という答え。

彼は家を出るときも
「マスクをしなくていいんですか?」
と信じられないような驚いたような表情をしていました。
(前の日校庭でマスクしないでサッカーしてたんですけど、
学校に行く前は思い出したんでしょうね)

学校では平和教育として、
広島で原爆が投下されたときに被曝をされた地域の方のお話を聞いたそうです。

原爆の被爆体験を聞く5,6年生












この「短期交流プログラム」は夕食付です。
みんなで夕食を作って食べ終わったところに、私たち受け入れ家族が迎えに行きます。

家では、おふろに入って寝るだけですが、
子どもが6人いるのでそういうわけにはいきません。

独楽回しをしたり・・・、

ベイブレードというらしい











花火をしたり・・・、

た~まや~











盆踊りの練習をしたり・・・。
(これは同じ日に全部したわけではなく、
毎日いろいろしていたわけです)

東広島音頭?











そして昼間は、野外活動や、

なみ滝藤原園











広島市にある平和公園や原爆資料館の見学などがありました。(昼間は主催者にお任せ)


これは私が個人的に行ったノーモアヒバクシャウォークの写真














「夏休み短期交流プログラム」は5泊6日。

ラジオ体操をして、

夏休みといえば朝のラジオ体操











将棋をして、

朝から将棋











野球をして、

朝から野球











あっという間に時間は過ぎていきました。


お別れの日が近づくにつれて、
このまま鹿児島に帰らないで、広島の実家で6人の子育てをしながら暮らそうか・・・、
という気持ちが高まっていきました。

福島に変える前日の夜、テレビのニュース番組を見ていたら、
福島第一原発の事故のニュースが流れてきました。
あまりよいニュースではありませんでした。
Y君は「あ~、帰りたくないな~」と言いました。
本当に引きとめようかと思いました。
でも、彼らにはもっと小さな弟や妹がいます。
どうしていいのかわかりませんでした。


最後の日の朝、朝食の時間に給食の話になりました。
クラスに牛乳を飲まない子がいるという話。
S君が「前は基準値が○○ベクレルだったけど、今は○○○ベクレル」
だから安心できないと言っていました。
福ちゃん牛乳でしょ」と。
子どもの口からベクレルということばが出てきてビックリしました。
Y君は「気にしすぎる人がいる」という意見。
私は何と言っていいかわからなくて
「鹿児島でも給食が大丈夫かどうか心配しているよ」
と言ってしまいました。
学校生活で一番の楽しみであるはずの給食で、
心配したり、友だちと意見が対立したりという現状。


家を出る直前までトランプなどをしたりして、


日本のお城トランプ











福島の友だちは帰っていきました。

子どもたちだけで新幹線に乗って福島まで帰りました











「このままずっといればいいのに」
ずっとそう思っていたけど、言いませんでした。

「また来てね」
とは言ったような気がします。

「今度は福島に行くけんね」
これは父が言っていました。


一月以上経って写真の焼き増しをして送りました。
福島に2冊、広島と鹿児島で計4冊のアルバムを作りました。













それぞれの地で子どもたちが思い出せるように。

ありがとう。
元気で、また会おうね。

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